ヒッチハイクで出勤をしていた時のこと。
3月のこの時期になると、
いろいろ考えてしまいます。
3月11日。
あの地震の後、
JRもバスも動かなくなり、
自動車もガソリンが手に入らず、
自転車も手に入らなかった間、
3日間ぐらい徒歩とヒッチハイクで職場に出勤してました。
徒歩だと、4時間ぐらいかかる距離だったのでそれが効率的だと思ったんです。
今、冷静に考えると、よくそんな無茶をしたものだと自分でもびっくりしますが、
当時はそんなこと等、考えている場合じゃなかったんです。
乗せてくれた方のことは今でも憶えています。
ある方は職場を通り過ぎてまでも、なるべく職場の近くまで乗せてあげると言ってくれ、職場のすぐそばまで乗せてくれました。
ガソリンが貴重だったあの当時に。
あるトラックの運ちゃんは、乗せてくれたお礼にお菓子を渡そうとしたら、
「そんな物をもらうためにお前を乗せたんじゃない。自分は宮城内陸地震の時に、山道トラックが路肩はまったことがあって、その時通りすがりの人達が助けてくれたんだ。だからその時の恩を返すつもりでお前を乗せたんだ。」
と、言ってかたくなにお菓子をもらってくれませんでした。
ある子ども連れの方は、見ず知らずの人を乗せた上に、食べ物を分けてまでくれました。
きっと子どもが食べるはずだったバナナをくれました。
あの時ほど人の優しさや温かさを感じた時はありませんでした。
今の普通の生活から比べたらあの当時は辛くて大変な状況でしたが、
あの時の自分は、ものすごく幸せだったと思います。
あの当時の辛さや大変さは忘れようとしても、
絶対に忘れられません。
だからこそ、あの時、自分に幸せを与えてくれた人のことを
いつまでも記憶に留めておきたいと思います。
※探したら、当時ヒッチハイクに使っていたノートが出てきました。