子育て支援について考える。
すごく考えさせられる内容の記事がありました。
自分は子育てが始まったばかりのひよっこの父親ですが、
子育て支援をする保育士の立場からplutanさんの言っていることにすごく腑に落ちました。
はっきりいって子育て支援には限界があります。
なにせ子育てをする人とその子どもを“支援”するのが役割なんですから。
支援される人のレベル(レベルいっていいのか分かりませんが)によって支援の質や量が違います。
それなのに社会は支援の限界を度外視して役割以外のものを求め過ぎているきらいがあるような気がします。
重要なのはやっぱり支援される家庭がどうであるかなんですよね。
正直、職業柄、
(そんなんなら子ども産まなきゃ良かったじゃん!!)
と、思える親を目にします。
でも子育て支援の特性上、そういった親と子にももちろん支援の手を差し伸べます。仕事ですから。
でも、そういった親に出来る支援はほとんどないんですよね。
だって親は支援を求めていないから。
正確には、そんな親が求めているのは子育て支援ではなく、自分の為だけの支援なんです。
そこに保育士としての苛立ちや憤りを感じます。
そんな子どもの為にならない子育て支援を子育て支援と呼べるのか。
実際は子どもの為にならない子育て支援に力を入れざるを得ない状況がほとんどなんです。
理想を言えば、子育て支援は今のようなマイナスを0にするような活動よりも、
0や1を2や3、5や10にするもっとプラスな支援であるべきです。
より健全な家庭がより健全に産み育てたいと思える環境をつくる支援を出来たらどんなにいいか。
いつもそう思います。
ようは何を言いたいかというと、plutanさんのおっしゃる通り、
家庭(特に夫)が子どもを産み育てる上で健全に機能していなければどうしようもないし、
そこがしっかりしていなけれ子育て支援なんて何の意味もないんだよ!!
ということを言いたかったんです。